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社会福祉法人 京都ライフサポート協会
理事長 樋口幸雄

2004年
第10回洛西ふれあいの里福祉フォーラム
「街 に 暮 ら す」


 3年前のこのフォーラムに呼んでいただいた時、開設前の横手通り43番地「庵」をイラストを使って説明させてもらいました。覚えていただいている方もいらっしゃるかもしれません。
 あれから3年が経ちました。実際にこの施設を運営してみて、今思っていることは、これで‡€施設は必要悪‡≠ニ言わなくても済むと思えたことです。もちろんこの施設が究極の理想というつもりはありませんし、施設であることに変わりはないでしょうが、今の入所施設の枠組みの中で、ここまでできるという、この制度の可能性を「形」にして見せることはできたのではないかと考えています。少なくともこれに変わり得る制度がない現状では、最重度者や強度行動障害のある人など、より高度な支援を必要としている人の、ありのままの自立を支える方法論としては、ベストに近いのではないかと考えています。

 先月、厚労省の社会保障審議会が、2005年度以降の障害者政策の改革試案(いわゆるグランドデザイン)を発表しました。
 ・知的・身体・精神のサービス提供の一本化
 ・応能負担から応益負担
 ・施設の機能分化

ですが、出るところまで出たなと思うと同時に、これで全部か?と、つい疑ってしまいました。いろいろ言いたくなりますが、ここでは、施設体系の見なおしの中心であり、従来の入所施設の概念を変え、暮らしの場と、働く場(日中活動)とに分けようという、施設機能の分化を取り上げたいと思います。この改革案が実効性があるものかどうか、甚だ怪しいものがありますが、職住分離は、当然そうあるべきものですし、先駆的な施設は、現行制度の中でも苦労しながら早くから実践もされてきました。「庵」もこの職住分離を運営の柱として、開設当初から取り入れていますので、これからの入所施設のイメージは多分こうなるのではないかという参考に、まず、現在の横手通り43番地「庵」の暮らしの様子と、日中活動の場面を見てもらいたいと思います。

 私が申し上げたいことは、今回のグランドデザインで示された中身は一体どうなるのかということです。制度化することで、現状より良くなるのか、悪くなるのか、それが問題です。先程見てもらった生活の質が、今後も維持できるのかどうかです。そして、新たな日中活動の場の建物はどうなるのか。施設の整備費はつくのか、聞きたいこと、知りたいことは、その具体的中味です。何枚も何枚も、丁寧なチャートやフロー図が、厚労省から送られて来ていますが、肝心なところは見えないようにかかれているように思えます。

 厚労省の支援費制度をつくった人達は、制度ができると全部変わって、今は介護保険制度に詳しい人達がやっているそうです。頭のいい人達でしょうから、支援費制度が早晩破綻することぐらい、初めから判っていたとしか思えません。5年かけてということですが、もうすべてが決まっているのではないでしょうか。そもそも削減ありき、の議論の中に理想や理念はあるのでしょうか。つい最近も、東京都のグループホームの世話人さん達が、その労働条件の過酷さに東京弁護士会に人権救済を訴えたという新聞記事がでていました。人権救済というところに、この問題の複雑さを感じますし、我が国の地域福祉の断面を見る思いがします。現行のグループホーム制度のもつ問題点。国や自治体が出す、運営費のしくみとその額、事業基盤の脆弱さが、労基法を無視した、勤務実態を生み、それが個人事業主との業務委託という抜け道で覆い隠されているというこの事例は、現実には決して珍しくはないのが、我が国の現状なのです。こうしたことがねグループホームに限らず、地域支援の現場では常に背中併せにあるのではないでしょうか。

 全国3000市町村のうち無認可も含め、通所施設が1ヶ所もない、空白自治体が4割、グループホームにいたっては8割にのぼります。正直話しにならない状況なのです。施設機能の分化といっても、このままでは既存の施設の看板を取りかえただけに終わるのではないかと思います。
 こうした現状を考えると、少なくともあまりバラ色な話しはしないほうがいいのではないでしょうか。理念ばかり先走しるのではなく、地道にこうした社会資源を整備することが先決ではないかとつくづく思います。

 国は入所施設を作らないと明言した以上は、これに変わり得る制度を責任をもって用意すべきです。統計上の数字を使用するとして、成人34万人の知的障害者が全員グループホームを希望したらどうなるのかのシミュレーションくらいはやってほしい。今のような中軽度者を対象とした制度ではなく、最重度者も使えるホームも含めてです。
 「庵」の利用者の皆さんが、全員地域で暮らすとしたら、ざっと計算しても、今の数倍は費用がいるという結果でした。なにか桁違いな予算となるのではないでしょうか。「施設は安あがり」という常識がいつのまに「施設は金がかかる」にすりかわったのでしょうか。地域支援のほうが桁違いにお金がかかることは、誰が計算してもわかります。これは地域=親元を前提とした計算をしているとしか思えません。
 介護保険にしろ、支援費との抱き合わせにしろ、直ぐに財政的に行き詰まる事態になるのではないかと懸念します。小手先でなく、もっと緻密で誰もが納得できる、制度設計をすべきときではないでしょうか。

 最後に、私がいつも不快に思うのは、何かと自己の都合の良いように操作され、伝えられている北欧の福祉事情です。スウェーデンやデンマークといった国々は、30年、40年かけて、徹底的に脱施設化を図ってきた国です。我が国とは違い、当時のそれらの国では、1000人、2000人といった解体すべき施設が、数多くあったのです。
 1951年、デンマークで知的障害者施設親の会が結成された時のスローガンは、
 1 そうした巨大施設を、入所者20〜30人程度の小規模の施設に改めること
 2 そのような小規模施設を、親や親戚が生活する地域に作ることでした。この時のスローガンをデンマーク社会省の役人であったバンクミッケルセンが、ノーマライゼーションと名付けたのです。ノーマライゼーション=施設解体或いは、「反施設」と捉えている、今の我が国の運動の進め方とは全く違います。現に今もそうした国は施設を無くしてしまったのではなく、施設はより障害の重い人のための手厚い居住施設として残し、一方でさまざまな支援形態によるケアホームを一般住宅の中に国が責任をもって数多く作っていったのです。従来の入所施設の概念を転換して、これを住居としてとらえ直したのです。そのために毎年毎年、相当な財政処置を講じ続けて、今日に至っているのです。こうした長い助走期間があって始めて、施設利用者の地域移行が着実に進められたのです。我が国もより現実的な視点に立って、こうした地域福祉の基盤作り、特に住宅政策に力を入れるべきです。そして同時平行的に、この脱施設化に真剣に取り組むべき時だと思います。施設解体をスローガンにするのではなく、施設そのものの中味を地域福祉に無くてはならない機能に変えていくのです。このことが地域福祉の厚み、セーフティーネットとなって、障害の重い人も普通の暮らしができる福祉の土壌が育っていくのだと思います。

 難しいことは言いません。まず、手始めに全国すべての入所施設の規模を40人以下にすることを提案したい。そういう、法律をつくってほしい。そこから入所施設は間違いなく大きく変わっていくと思います。