2005年
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横手通り43番地「庵」と
  ノーマリゼーション

社会福祉法人 京都ライフサポート協会
理事長 樋口幸雄

2005年6月

 知的障害のある人のための生活施設、横手通り43番地「庵」は丸3年を迎えました。実際にこの施設を運営して、これで施設は「必要悪」と言わずに済む、というところまで来れたという、そんな思いがしています。


 最重度者や自閉症に起因し、環境に対する不適応に苦しむ人達への支援の専門性は、今、知的障害者福祉に求められている大きな課題ですが、そうした人達の自立支援やその行動の変容に向けての取り組みは、こうした小舎制によるユニットケアーの施設でこそできるプログラムである、と確かな手応えを感じています。


 障害の重い人でも介護されているという受身な部分をできるだけ少なくすることで、能動性を引き出し、高め、利用者のエンパワメントの上に成り立つ生活を実現することがユニットケアーの目的です。構造化された住環境、利用者とスタッフとの程好い距離感、人と場所を変えての職住分離、週末帰宅による地域や家族との絶え間ない交流という「庵」の運営コンセプトによる環境調整によって、そうした困難な障害状況にある人達も、少しずつではありますが、自立した平穏な生活を取り戻されてきています。


 私は、この施設が究極の理想と申し上げたいのではありません。今の入所施設の枠組の中でここまでできるという、この制度の可能性を「形」にして見せることはできたのではないか。発想の転換と柔軟な運営に徹することで、この制度を利用者本位のものに変えていくことは可能であり、それが我が国の現状にあった有効な方法論ではないか、と考えているのです。


 スウェーデンやデンマークといった北欧の国々の福祉事情がモデルのように伝えられていますが、こうした国々は30年、40年かけて徹底的な施設の小規模化、地域化を図ってきた国です。北欧の30年前、40年前は、1施設が1000人、2000人定員といった解体すべき施設が数多くあったのです。1951年デンマークで知的障害者施設親の会が結成された時のスローガンは、


1 そうした巨大施設を入所者20〜30人程度の小規模な施設に改めること。
2 そのような小規模施設を親や親戚が生活する地域に作ることでした。


 このスローガンをデンマーク社会省のバンクミッケルセンがノーマリゼーションと名付けたのです。ノーマリゼーションを「施設解体」、或いは「反施設」と捉えている今の我が国の運動の進め方とは、全く違います。現に、今もそうした国は、施設を全く無くしてしまったのではなく、施設をより障害の重い人のための、手厚い支援を受けることのできる居住施設として残し、一方で様々な支援形態による、小規模なケアホームを一般住宅の中に、国が責任をもって数多く作っていったのです。従来の入所施設の概念を転換して、これを住居として、捉え直したのです。そのために、相当な財政支出を講じ続けて、今に至っているのです。


 こうした長い助走期間があって初めて施設からの地域移行が着実に進められたのです。


 我が国もこうした地域福祉の基盤整備と一層の施設の小規模化、地域化に取り組むべきだと思います。


 重ねて言いますが、施設解体をスローガンにするのではなく、施設そのものの中味を地域社会に無くてはならない機能に変えていくのです。このことが、地域社会の厚み、セーフティーネットとなって、障害の重い人も普通の暮らしができる福祉の土壌が育っていくのだと思います。


 幸い開所以来、4000人に近い人達が見学や研修に来られ、多くの励ましの言葉をいただきました。「庵方式」という言葉も生まれていると聞き及び、気恥ずかしい思いがしています。街に最重度者の居住施設が点在し、役割を終えるその日まで、「庵」を拠点に地域を支えつづけていきたいと考えております。後援会の皆様には、今後とも御支援、御協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

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2005年3月

重い障害のある人にも普通の暮らしを

社会福祉をとりまく状況の目まぐるしい変化。脱施設、施設から地域へと加速される地域福祉の議論の中で、蚊帳の外に置かれているのが、最重度者・強度行動障害のある人など、より高度な支援を必要としている人達の存在ではないかと思います。


 この10年さまざまな立場から検討され、その運営の中味が問われ、どのような変革が求められているのか、議論は尽くされた感すらありますが、その改革に向けての具体的な実践となると、ほとんど手付かずの状況ではないかと思います。又、新障害者計画に明記された国が言う「真に必要な施設」とはどのような施設なのでしょうか。その施設モデルや同様に脱施設が目指す、現在の入所更生施設に代わりうる、地域における居住モデルの具体像やそれへの移行プロセスは全くといっていいほど示されてはいません。
今の地域福祉の進め方は、入所施設を性急に否定するあまり、入所施設の現実として果たしている機能を直視せず、いわば“ムード”としての脱施設・施設から地域へという理念ばかりが一人歩きしているように見えます。地域福祉の柱とされる、グループホームのほとんどが最重度者は使えず、強度行動障害など高度な支援を必要とする人たちの居住の場とならないのも現実です。障害の重い人ほど、生活基盤を家族同居に求めざるを得ないという大きな矛盾が生まれ、結局在宅=親元、障害の複雑化した人は精神医療の場へという構造が一層進むのではないかと懸念します。
 今日のノーマリゼーションを理念とする我が国の施策・運動の中で、大きく抜け落ちているのが、この障害が重く、より困難な状況にある人たちの自立という視点ではないかと思います。むしろ、逆に地域で親元に暮らし続けることが、良いこと、我が子にいつまでも寄り添い続ける親が熱心なよい親という風潮さえ新たにつくり出されているのではないかと危惧します。障害の重い人を包括した自立の場としての住居の確保、自立した生活ができる所得保証、それを動かす援助技術の専門性とシステムという地域福祉に必要な条件整備が無いままに利用者主体という理念ばかりを先行させてきたつけが今、居宅支援の迷走となって収集のつかないところまできているのが現状ではないでしょうか。
これではいつまでたっても、障害の重い人達の自立は遠のくばかりです。


  これからの地域福祉を進めて行く中で、今もっとも優先して取り組まなければならないのが、この障害の最も重い人たち、強度行動障害など高度な支援を必要としているひとたちに対するセーフティーネットの構築ではないかと思います。ここのところを抜きにして、あるいは先送りして、いくら地域支援のネットワーク作りをしてもそれは砂上の楼閣でしかありません。障害状況の困難さゆえに最も困窮している人たちに対する援助システムを確立してこそ、真の地域福祉といえるのではないか。こうした認識を地域福祉の関係者が共有することが大切ではないでしょうか。


  そのためには、入所施設という選択肢を徒に否定するのではなく、より現実的な視点に立って、この制度を利用者本位のものに変えていくことが我が国の現状にあった現実的でより有効な方法論ではないかと今でも考えます。現行の入所施設を地域支援のネットワークの中にしっかりと位置付け、現行の入所施設の運営基準を大幅に見直し、国がいう「真に必要な施設」のモデルを示すべきではないでしょうか。そうした入所施設の機能を明確化させていくことが介護と保護のみの漫然と運営を続ける旧態依然とした入所施設の淘汰を早め、重い障害のある人の普通の暮らしを実現するための「真に必要な施設」の姿が見えてくるのではないでしょうか。


  我々入所施設関係者もこうした現状に対していつまでも手をこまねいて見ているわけにはいきません。現行制度の枠組の中で、何がどこまでできるのか施設運営のすべてを見なおし、建物の構造から勤務体制まで従来の固定概念を捨て、発想の転換を図り、障害の重い人がその一人一人にあった暮らしができる“自立のための施設”づくりをしようと本気ではじめたのが、横手通り43番地「庵」です。


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